哲義繙無碌(てつぎはんブログ)とは、先哲の義訓を繙(ひもと)き記録したものです! 40代を前にして隠棲し、小商いと執筆生活に勤(いそ)しむ愚昧なる小隠が、先哲の教えを中心に、愚拙に解釈する趣味的無碌=ブログです☆

2007年4月16日

人間をつくる‐能ある鷹は己を磨く‐『易経』より☆

『易経』‐乾(乾為天)初九

潜龍用うる勿れ 。
センリョウ モチうるナカれ


潜龍勿用。


乾(乾為天)とは、易の六十四卦の最初に位置するもので、六つの陰陽[爻(コウ)]がすべて陽で表されています。その一番下(初爻‐ショコウ)の意味する爻辞(コウジ)が、この記事の冒頭に書いた「潜龍勿用」です。機が熟していない状況で、自分の思いや考えを通そうとしても、良い結果を得ることはできないという意味ですかね。

易占いの解説本では、上司や目上との争いごとを慎むとか、部下や目下の者からの裏切り反逆とかに解釈していますが、占いをテーマとする記事ではないので、これを云々することは差し控えておきます。この爻が示すところは、龍が地下あるいは水中に潜んでいる状態で、天に昇る機運が到来してはいないということです。然るべき機運がやってくれば自ずと事態が展開することを、急いで進めようとすることで無理が生じてしまうことに対する戒めの言葉です。

自らの役目も果たせずにいながら、上司や組織を批判する人もいれば、職業や役職をカン違いして、己が楽をすることに躍起になる人もいますね。前者は淘汰されますが、後者は違って狡猾で用意周到ですから、したたかに生き残るんですよね。こういう人に対しても、「潜龍用うる勿れ」というスタンスでいなければならないのかという思いも出てきますが、結論的に言えば遣り過ごしてしまうのが最善なのです。こういう人に対抗したり反発したりしても相手を増長させるばかりで、それとは逆にこちらのエネルギーを消耗させることになります。要は相手の波長に合わせることになり、それが自分のリズムを崩してしまうことになるんですね。

『易経』の本質は、天・地・人のバランス・・・・・・天の時(運気、タイミング)・地の利(環境、助力)・人(器量)の調和を観ることですが、「潜龍勿用」 には「天・地・人」の調和が取れていないということを意味があるのです。では、調和が取れるようにするには、何をどうすれば良いのか?・・・・・・ということになりますね。「天・地・人」の中で自己を意味するのは「人」ですから、これを高めることに意識を向けることが、その答えになるのだと思います。「人」すなわち人間の器量や品格を高めれば、それに見合った「地」が開け、「天」が意味するところの時が巡って来るのでしょうね。

そこで、“人間の器量や品格を高める”という方法ですが、『論語』にヒントが隠されているのですね。「潜龍勿用」は『易経』の冒頭に位置する文言ですが、これが『論語』の冒頭である学而編の「子曰、学而時習之・・・・・・」という一節にリンクしているのだと考えるのです。学びのスタンス=己を生かすスタンスという意味で、それぞれの書物のトップに書かれている・・・・・・と考えるのは、飛躍しすぎでしょうか。『論語』も『易経』も、ともに儒教の中核に位置するものですから、そこに必然性が有るという気が私にはするのです。

最後に、お知らせです。かねてより記事に書いておりました『論語』 のブログを始めました。タイトルは、『論語ノート‐哲義繙無碌2号館☆』です。『論語』の原文に、読み下し文と現代語訳(私家版)、それと雑記を中心に構成しています。当面は、週刊から旬刊での更新を予定していますが、徐々にペースアップできればと思っております。皆様のご訪問を、心よりお待ち致しております。

《感謝》


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2007年4月2日

特立して独行す☆生き様を見せる!

『文章軌範』韓文公「與于襄陽書」

特立して独行す 。

特立而独行。

世の中の風潮や周りの雰囲気に流されず、自己の考えと確信を持って行動する。というのが、この文章の訳として適切ではないかと思います。

これを平たく言うと、 “生き様を見せろ”ってことではないでしょうか。「特立して独行す」という言葉は、一見すると自分勝手な独立独歩の異端者を意味する言葉のようにも思えます。しかし、自分勝手な独立独歩では孤立してしまいますから、特立ではなくなりますね。だとすると、実際には観察眼と見識の大切さと、その上に立った生き方をメッセージとする言葉だと思うのです。

数年前に「オンリーワン」という言葉が流行りましたが、「世界にひとつだけの花」として生きることの素晴らしさを歌ったものでした。しかし、実際には「オンリーワン」な生き方は理想であって、結果的には「エブリーワン」の中での気休め的な、個人的な世界に限定されたものだったように感じます。個人的空間と社会的空間とに生きる人間の、心の拠りどころのようなものを、恋人や友人や家族との関係の中に「オンリーワン」というカタチで具現化することを賞賛することだったと思います。

では、社会的空間における「オンリーワン」の在り方とは、どういうものなのでしょう。本当の「オンリーワン」を目指すためには、周囲の個々人が持つ個性や考えを知ることが大切なのではないでしょうか。最低限の常識やルールは別として、相手との個の違いを認めるところに、自己を特立させる場所が生まれると思うのです。多くの個を否定して、画一化され序列化された中では忘れられがちなことですが、個を認知するところにこそ特立があり、独行という「オンリーワン」の生き方が生まれるのだと思います。

私は会社という組織を離れて、隠遁的な偏業生活に身を置く者ですから、「オンリーワン」ではなくて単なる「アウトサイダー」であり、見る人によっては「敗北者」であるわけですね。こういった立場から申し上げるのは無礼ではあるのですが、「オンリーワン」とは組織に在ってこそ光るもの、意味のあるものだと考えます。組織の中に在って、そこからはみ出すことなく、しかも存在感を放つというのは、相手を認め己を知るところに始まると思うのです。「生き様」という「オンリーワン」な存在感も、そこに根ざすのではないでしょうか。

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前回の記事から3週間以上経過してしまい、「週に1~2回は更新いたします」と書いたことがウソになってしまいました。本当に、ごめんなさい。 希望的観測や、憶測は書かずに、努力いたします。

《深謝》