良寛さんの漢詩「円通寺」:清貧たるべし
「円通寺(えんつうじ)」 ---●---●---●---●--- 自来円通寺 円通寺に来たりて 幾度経冬春 幾度か冬春を経ん 門前千家邑 門前に千家の邑(ユウ) 更不知一人 一人をも知らずにへる 衣垢手自濯 衣の垢は自ら手で濯(あら)い 食尽出城闉(ジョウイン) 食尽きれば城闉(ジョウイン:城の外郭の門)に出ず 曾読高僧伝 曾(か)って高僧の伝を読むに 僧可可清貧 ---●---●---●---●--- 【現代語訳】 円通寺(岡山県倉敷市)に来てから、 門前の邑(むら)には多くの家々が在るのに、 垢のついた僧衣は自らの手で洗い、 昔読んだ高僧の伝には、 ---●---●---●---●--- 【感想】 “只管打坐(しかんたざ)”を旨とする曹洞禅を貫いていた、若き日の良寛さんの姿を想う。 子供の頃に、良寛さんと共に知ったのが一休さんだが、そちらは公案禅の僧である。 市井に出てコミュニケーションをとる一休さんが陽の禅僧とするならば、この良寛さんは陰の禅僧であるように思う。 ただ、どちらも本物の僧であることには変わりはないのだが、最近は良寛和尚のほうが気になる。 ひたすらに打ち込む。その姿に力みが無いことに魅力を感じる。 久しぶりの投稿です。無事に生きてはおるのですが、生来の不精を抑えることができぬままです。いま少し投稿頻度を上げるべく、何らかの手を打たねばと思案をしております。
僧可は清貧なる可(べ)しと
幾たびかの冬と春が過ぎた。
誰一人知ることなく過ぎた。
食料が尽きれば城の外門まで托鉢に歩く。
僧は清貧たるべしと記す。
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