哲義繙無碌(てつぎはんブログ)とは、先哲の義訓を繙(ひもと)き記録したものです! 40代を前にして隠棲し、小商いと執筆生活に勤(いそ)しむ愚昧なる小隠が、先哲の教えを中心に、愚拙に解釈する趣味的無碌=ブログです☆

2009年5月17日

大掃除‐鳩山由紀夫新代表の就任会見より

世直しと掃除!?

先日(5月16日)、民主党の新代表となった鳩山由紀夫さんの就任会見に、「日本の大掃除を、世直しをしたい」という一節があった。そこで、「掃除」「世直し」という言葉が、政治を刷新するという意味で使われだしたはいつ頃からなのか?・・・・・・それが気になったので調べてみた。

まず「世直し」という言葉だが、《Yahoo!百科事典》によると幕末期らしい。(詳しくは《Yahoo!百科事典》の【世直し(よなおし) 】を参照)

そして、もう一方の「掃除」という言葉だが、これが結構古く南北朝時代の西暦445年頃に遡るのだ。

『後漢書』の《陳王列傳》に次のように記されている。

蕃曰、大丈夫處世,當埽除天下。

番王の曰く、大丈夫の世に処するは、当(まさ)に天下を掃除すべし

『後漢書』[陳王列傳]より。

「大丈夫と言い得る者が世にいるからには、当然天下を掃除するべきだ」ということが、ここには記されている。

さて、こういったことを鳩山新代表がご存知かどうかは私の知るところではないが、『後漢書』にはもう一つ、気になる一節が記されている。「虎を画(えが)いて成らず、反(かえ)って狗(いぬ)に類す。―虎を画いたつもりが虎にはならず、できあがった絵は狗(いぬ)を描いたかのようになってしまった」というものだ。

鳩山新代表が「大丈夫と言い得る者」で在られることを期待する!

民主党のファンというわけではなく、今の政治が新しい風を必要としているのだ。後ろには岡田さんが控えておられるから、存分に力を発揮していただきたいと思う。


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2009年5月10日

両利き(右利き+左利き)の話。

右手で円を描くと同時に、左手で方(ホウ)=四角を描くのは無理!?

右手画円、左手画方、不能両成。

右手(ゆうしゅ)に円を画(えが)き、左手(さしゅ)に方(ホウ)を画(えが)かんとせば、両(ふた)つながら成ること能(あた)わず。

『韓非子』[功名第二]より。

「左右の手を使って、まったく異なる動きをさせようとしてもむりなように、心を二つにして考えようとしては、一つのことも考えがまとまらないものだ」ということが、ここには記されています。

二つのことを同時に思い描くことは不可能でも、右手でマルを描きながら左手でシカクを描くことなら、できてしまう場合もあります。

一般的に考えれば難しいことですけれども、左右両利きの人なら意外と簡単にできるでしょうし、聞き手が片方の人であっても訓練すればできるようになります。訓練してまで、それをすることに意味があるかどうかは別の話ですが。

ちなみに、私は右手も左手も利き手で、いわゆる両利きといえるタイプです・・・・・・一応。

一応というのは、右手も左手も同じ動作を行えるワケではなく、左手を使う場合と右手を使う場合とが生活する中で区分けされているタイプです。

具体的に申し上げると、右手でペンや箸、ハサミなどを使いますが、消しゴムとかカッターナイフ、包丁は左手を使います。このように書くと器用そうにみえるかもしれませんが、ボールを投げるのは左手でバッティングは右打席のほうが向いています。つまり、ソフトボールとか野球をする場合には、どちらかというと損なタイプですね。

それ以外にも、利き手に関するネタはイロイロとあるのですが、改めて書くことにします。

話は変わって、今回の言葉の原典である『韓非子』を著した韓非(カンビ)ですが、秦の始皇帝に重用され、諸子百家の法家の祖としても有名です。また、彼の提唱する“信賞必罰”の考えは、今の法治政治の礎になっています。

正直、『韓非子』は読んでいてイラッ!・・・・・・と来る内容も少なからずあるのですが、人間の本質のウラを見事に看破している部分も多くあり、一読の価値がある典籍だと思います。


今回の記事は、にほんブログ村のトラコミュ「Ambidextrous‐左右両利き、全員集合!」にちなんで書いたものです。左右両利きの方から、トラコミュのほうにトラックバックいただければ、喜んで訪問させていただきます。

ご訪問ありがとうございます。そして、またのご訪問をお待ちいたしております。


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2009年5月9日

人生在勤‐人生は勤にあり

「勤」とは働くことか?

人生在勤。

人生は勤に在り。

『宗史』[辛棄疾伝]より。

「勤」という漢字の和訳、すなわち訓読みは「つと‐める」、「つと‐まる」で、仕事に結び付くニュアンスを持ちますが、本来の意味は「余力が無いくらいに精を出す」とか、「ものごとが行き届いているさま」を表します。

「人生在勤」「人の一生と言うのは働くことである」との和訳を見かけますが、これでは「勤」の意味する範囲が狭まってしまいます。

正しくは、「人の一生と言うのは精を出し尽くすことである」とするべきでしょう。

仕事に限らず、精一杯生きている人、そんな人の笑顔に接すると、幸せのおすそ分けをしてもらったみたいで、清々しい気分になれますね。


さて、気が付けば、前回の投稿から半年が経過しておりました。それにもかかわらず、これまた気が付けば、ランキングの上位に押し上げていただいておる。有り難いやら恥ずかしいやらで、もう少し密に更新せねばと思っております。

そして自身の不精さを戒めるために、記事を更新せずとも上位にランキングされるものよりも、更新が無ければランクアップもしないものにエントリーしました。
「精一杯」には及ばずとも、“遇宮流山人”ならぬ“ぐうたら山人”の汚名を返上したいと思っておるところです。

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