苛政は虎よりも猛し(カセイはトラよりもタケし)
『礼記(らいき)』檀弓下編より
苛政は虎よりも猛し(カセイはトラよりもタケし):苛政猛於虎也
輿車に乗った孔子が泰山のふもとを通り過ぎようとしている時に、墓地で嘆き哀しむ婦人を見付けました。孔子は車上から礼を行ってから、弟子の子路に命じて事情を尋ねさせました。「嘆き哀しむ様子が尋常ではなく、まるで幾つもの不幸が重なっている人のようです」と。婦人はそれに答えて言いました。「そのとおりなのです。昔に私の舅(しゅうと:夫の父)が虎に殺され、夫もまた虎に殺されまして、そして今度は、我が子までもが虎に殺されたのです」。それに対して孔子は、「それでは何故この土地を離れようとはしないのですか?」と問いかけました。すると、婦人はこのように答えました。「この国には、よその国のような苛酷で無慈悲な政治が無いからです」と。この言葉を聞いた孔子は門人達に対して、「苛政というものは虎よりも獰猛で、人の心を怯えさせてしまうものだということを認識しなければならない」と言いました。
この話は、『礼記(らいき)』と呼ばれる中国の古典に書かれている話です。『礼記』は紀元前1世紀に書かれたものとされていますので、今から2,000年以上も前になります。しかし、「苛政は虎よりも猛し」という話は、現在の世情と大きく変わらないように思えます。片方では収入を得る目途が無い人の生活保護を打ち切ってしまうという話があれば、一方では臨時教員をしている人に対して手厚く生活保護を与え続けているという話もあります。年金問題については、資金の流用額が明らかにされていなくて、支給準備金として幾ら残っているのかも不明です。この国を良くするために汗を流している政治家さんもいれば、その邪魔をして利権を追求するだけの政治屋も多くいます。公僕として働く公務員さんもいれば、私腹を肥やすために役人を続ける人もいます。国家体制や思想の違う国においても、この構図は大きく変わらないようですし、今も昔も苦しめられるのは善良なる国民ということでしょうか。
「善良なる」という言葉も、支配する側から見れば「愚鈍」という意味合いを持つようで、選挙を前に「眠ったままでいて欲しい」という総理大臣もいましたね。で、この人は現総理の続投にも一枚噛んでいるようで、現総理と同様に参議院選挙の大敗も意に介していないようです。ということは、苛政は続くということでしょうかね。
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