伏すること久しきは、飛ぶこと必ず高し-菜根譚
『菜根譚』後集76より
伏すること久しきは、飛ぶこと必ず高く、開くこと先なるは、謝すること独り早し。
フクすることヒサしきは、トぶことカナラずタカく、ヒラくことサキなるは、シャすることヒトりハヤし。
伏久者、飛必高、開先者、謝独早。
【意訳】長い間にわたって地に伏していたものは、その間に養っておいた力を発揮して、必ず高く飛ぶことができ、先に開いたならば、それだけが他の花よりも早く衰えるものだ。
◎この言葉のあとには、このように続きます。これを心得ていれば、道が見えなくなって勢いを失うことも、結果をだすことに焦って心を惑わすこともなくなる、と。これを四字熟語で表すと、「大器晩成」ということになるんでしょう。あるいは、不遇な期間を耐えて後に実力を発揮する場を得る場合もあるでしょう。これは、その人の努力が天の理気と地の利を得て結実する時を迎えるということですね。人が努力を重ねたことが地の利と天の理気・天命に適い、「天」・「地」・「人」の三元が合致することで、それまでの行いが報われるということです。
◎努力をしても人事を尽くしても、上手く行かない報われないというのもよくある話です。ならば、天命や天の理気というものは、人に対して不平等に訪れたり、イタズラに作用したりするものなのでしょうか。これを中国で生まれた陰陽五行理論に照らして考えると、天の理気が不平等であるということは有り得ず、すべての人に同じように巡って来ます。だとすれば、努力が報われることと報われないこととの違いは、“地の利”と“その人の努力”とのいずれか、あるいは両方にあるということになります。言い換えれば、三元の「天」を操ることはできないが、「地」と「人」のいずれか、あるいは両方を変えることならできるということになりますね。
◎「地」を環境とし、「人」を個人の行いとして仮定すると、一番に変えやすいものは「人」といえるでしょう。個人を取り巻く環境には、簡単に変わるものと、変えることが困難なものとがあります。対人関係で言えば、簡単に変えられる(変わってしまう)部分もあれば、容易には変えられない部分もあります。信用を失くすことはスグですが、信用を築くことは容易ではないですよね。まあ、一時的に人を信用させることが得意な人もいますけれども、化けの皮がはがれるのも早いですよね。このように考えると、人は環境との折り合いを付けながら生きなければならないものだと改めて思います。ワタクシのような隠棲の身の者が、“環境との折り合いを付けながら生きなければ”などと書くことは、遠慮しなければならないことではあるのですが、話の流れということで容赦してください、隠棲することによって客観視できることもありますので。
◎そこで、“折り合い”というのが「伏すること久しき」に通じることで、如何に伏すかということが“折り合い”の付け方なのだと思うのです。“折り合い“の付け方次第で、高く飛ぶこと、すなわち大きな収穫を得ることができるということでしょう。“折り合い”ということについては、今回の記事の出典である『菜根譚』にもイロイロと載っていますし、『論語』にも細かく書かれています。これを抽象的に言い表せば、仁とか徳とかになるのでしょうが、もう少し具体的にまとめた言葉はないものかと思い調べてみると、絶好の言葉がありました。ということで、これを次回の記事のネタにさせていただきます。このブログの場合、次回が何時になるのか不明確なのですが、遅くとも今月中にはUPいたしますので、また読みに来て下さい。
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